ども、名人です。
今日は、スターフォースの思い出です。
みなさんご存知のように、スターフォースはハドソンが実施した
「第1回全国キャラバンファミコン大会」の公式認定ソフトと なりました。
このゲームを語る時、キャラバンの話しも必ずついて来ます。
もちろん、私自身もこのキャラバンでみなさんに知られていったわけですから。
「チャンピオンシップ」で、1985年2月に行われた「コロコロまんが祭り」で
ステージイベントを行った事から、キャラバンの企画は始まりました。
実際に、全国でゲーム大会をしようと言ったものの、スケジュールを考えると
非常に難しい事でした。
決めなければいけない事項としては、
1)採用するゲーム
2)キャラバンスケジュール
3)移動手段
4)ホテル手配
5)スタッフ
6)運営方法
7)会場セッティングに関して
などなど。
まず、Huとコロコロにて実施することを確定した後、当時のイベントでは珍しい、
スポンサーを探すことから始まりました。
今でこそ、TVゲームという事では、「ファミコン」という名前をあげるだけで
手を上げてくださるスポンサーさんがありますが、その当時は「ファミコン」と
いうものが、まだまだ世間に認知されていませんでした。ようやく子供の世界で
話題になっているというレベルの物だったのです。
そこで、時間が掛かったものの、最終的にはTDKさんが名乗りを上げてくださり
ここにキャラバンの実施が確定したのです。
次に行うことは、すべて平行作業として進んでいきました。
実際に動き始めたのは3月下旬の頃ですが、夏休みにキャラバンを行うという事は
6月15日発売のコロコロには、スケジュールを掲載しなければいけないわけです。
締め切りは、必然と5月下旬となりました。
全国、北と南で行う会場探しを移動スケジュールと合わせて決めていったのです。
まずは、ダイエーさんにお願いして、系列店でのイベントを入れ込みました。
そして空いている日程の中で、入れ込み可能な場所を、各エリアの営業が埋めていきました。
それで、決まったのが、北キャラバン27箇所。南36箇所だったのです。
次にキャラバンカーの作成です。
当時コロコロで人気だったファミコンロッキーのイラストを入れ込みながら、
車の設計をしていきました。全員の意見を聞きながら、すべて起こりえる可能性を
車の改造業者に相談して、作成しました。
採用されるゲームは、6月に発売される「スターフォース」に必然的に決まりました。
そこで、ゲーム大会のルールに関しての確定事項が決まっていきました。
まず、失敗しない状態でプレイした時に、どこら辺が中断するには最適なポイントなのかを
決めたわけですが、2分弱で1面がクリア出来ることから予選は2分と決まりました。
この時の決定が、その後もずっと影響しているわけですが…。
そして、持っていくモニターの数から、おのずと午前250人で予選。上位10人で決勝。
午後も同じで、1日の合計人数は500人と設定されました。
2分間をどのように計測するか?に関しては、その時に出ていた電子掲示板を使うという
アイデアもありましたが、金額の面で断念しました。丁度その時に、開発からファミコンで
画面に出したら。と提案があり、タイマーが作成されました。
(ちなみにこのタイマーは、私が持っている1本しか無いようです。)
次にスタッフの確保及びディレクターの動きに関してです。
まず、基本的なスタッフは5名となりました。
南キャラバンでいくと、私とMCの女性、ドライバー兼会場スタッフ2名、ディレクター1名です。
北キャラバンは、毛利名人とHu社員。
毛利君がアルバイトであったため、社員を1名付けたのです。
その他は、南と同じです。
ドラーバー兼会場スタッフ2名は、交代で車を運転するわけです。
私と、MCさんは、電車などを使用して移動します。
一番重要な動きは、ディレクターさんでした。
まず、1日の午前中の大会が終了した時点でディレクターさんは、次の会場へ先に向かい、
向こうのスタッフと打ち合わせを行います。
午後の大会が終了した時点で私たちが移動しますので、夜に打ち合わせを行います。
朝6時に起きて、7時には会場に入りセッティング開始。
10時より大会を開始し、午前の大会が終わったら、また次の会場へ移動。
この先乗りディレクターさんがいたから、スムーズに毎日の大会が行われたと言っても
過言ではありません。
次に、移動手段として切符の手配、ホテルの手配が行われました。
さて、実際にゲームを「スターフォース」で行うとしても、本当に上手くいくのだろうか?
と、誰もが思っていたわけですが、ちょうど5月3日に、千葉県の柏高島屋で、まんが祭りが実施
されることから、ここで一度実験を行うことになりました。
タイトルは
「コロコロまんがまつり・スターフォース発売前ファミコン大会」です。
ちなみに、この時のコロコロさんの告知記事から、「ハドソンの高橋名人」となりました。
もろもろの作業が全て順調だったかというと、そんな分けはありませんでしたが、
とりあえず進行していったのです。
5月のテストイベントが終了した時点での、次の問題は、もう片方の名人をどうするのか?
でした。
5月にマイコンショーがあり、チャンピオンシップなどのファミコンソフトを展示していた時に、ひょっこりとある男が現れました。
ファミコンの同人誌を作っているというふれこみだったので、「来週にでも会社に遊びにおいで」
と伝えたところ、快諾です。
会社にやってきた彼に、「スターフォース」を、プレイしてもらったところ、上手なんですよね。
それで、「キミ、この夏、仕事しない?」と…。
そう、この男こそ、毛利名人でした。
ここで、スタッフも全員が揃い、夏を迎えるわけです。
1985年7月15日 午前9時30分。
黄色に塗られたキャラバンカーが、市谷新見付けのハドソン前に横付けされました。
スタッフ、全員が集合している中、主に車の内部の設計をしていた私が中心になって、
必要機材を積んでいきました。
そして、北は苫小牧へ、南は日向へと向かったのです。
スターフォースは、ゲーセンにあったシューティングを移植したゲームです。
その頃のゲーセン機は、メモリーをある程度ふんだんに使っていますので、これがファミコンの
16Kビットに移植出来るのかという不安はありましたが、さすがに技術力の凄い中本さんが
手を抜くところと移植するところを完璧に分けて、移植されています。
確かに、音などの細かな部分では、甘いのですが、あのメモリーで移植出来たという事自体
凄いことです。
では、今日も一日頑張りましょう!